世界には、今71億人余りの人がいる。
考え方や物事のうけとめ方は、人により本当に様々・・。
そして共感する人、どこまでいっても相容れない人・・それらも様々。
そんななか、思う。
焦点をあてるべきは、自分と自分の対話だと。
他者からの評価や、他から投げかけられるものがどうこうではなく・・・。
何かを取捨選択する時、
誰かと関わる時、
何かを決める時・・・
その都度、自らに問いたい。
“感謝で、愛で、自己責任の覚悟をもって、正義で、そうしたのかどうか?”
“真(まこと)であるかどうか?”
“自分が自分に胸をはれるのかどうか…?”
他人は、ごまかせたとしても、自分だけは絶対にごまかせないし、偽れない。
何しろ、四六時中、思いの内を全てお見通しだから・・。
この世で最も厳しく手強いのは、自分だ。
わずかな曇りもよどみも、決して見逃さない。
今、世界的に多くの人が、いわば魂をもつ資格を失うともいうべき、魂を失った状態。
これも結果として、自分が自分を糾弾して、裁判を起こしているようなものといえるのかもしれない。
もともとの愛と感謝で満ち自然に沿った自分が、実生活における自分を告訴!
どちらが勝つのか・・・?
そこには、他者が入り込む余地はない。
自分と自分との信頼が揺るぎないものになると、
他者が、例えばどんな誹謗中傷をしようとも、それらを受け取らず、
『自分が自分のことを誰よりもよく分かっているから、何を言われても何らかまわない』
と毅然としていられる。
そして、その誹謗中傷はどうなるかというと…、
例えば、贈り物を相手が受け取らなければ、贈り主の手元にあるように、
誹謗中傷も受け取らなければ、発信者のものであり続ける・・。
そして、その時から、誹謗中傷発信者が自分自身を告訴する裁判が始まるのかもしれない。
毎日、一日の終わりに、
「今日もよくやった、自分!!」
といえるかどうか?
そんな自分だと、自分と自分の「絆」と「信頼」は、どんどん深まり、
自分への「感謝」が、じんわりこみ上げ、愛しさまでわき上がってくる … 😛
そんな感謝と愛しさは、世界へあふれ出し・・
やがて宇宙の彼方まで☆…!!