人と交わるうえでの幸せのカギを握るのは、先日も書かせて頂きました…以下のこと↓
出会った最初から全てを許したうえで、人と交わる…自分も人も許せないのであれば、人と交わるのをやめること
ですね。
実はさらにもうひとつ、人と交わるうえで大切なことがあるのです。
人は許して(憎まず)、罪は許さず
ということ。
そもそも、罪とはどういうことをいうのでしょう?
何よりも大切なのは、生かしてくれている自然(神様)からみてどうか?ということ。
誤解を恐れずにいうならば、はっきり言って、人間が作り上げたルールはある意味どうでもいいのです。
問題なのは、〈生かしてくれている自然(神様)をおとしいれるような行為〉
卑近な例を挙げるならば・・・、
私たち人間は通常、自然(神様)のもちもの…であるにもかかわらず、ある人を誹謗・中傷したり、おとしいれたり・・
あるいは、
生かしてくれている自然(神様)は、宇宙に一つなのに、自分の中でいくつもつくってみたり・・(→実はこれが戦争の原因なんですね)
そういった罪については、断じて許すべきではないのです。
ここで、こんな疑問をもたれる方も多いでしょう。
【人については最初から許しているから、憎むことなく、交わる・・・一方で、罪を犯した人の罪は許さず! とは、具体的にどう行動すること??】
1つ例をあげます。
例えば、ある男性A男が、生かしてくれている自然(神様)への裏切り行為(例えば、人の誹謗・中傷等)をした人だとします。
そして、B子さんがA男の彼女でつき合っている場合、B子は、A男自身を憎む必要もなければ、許さない!と思う必要もありません。
しかしながら、A男に対し、「貴方は自然(神様)に沿わずに生きている。自然(神様)の持ち物である人を誹謗・中傷することはとても悪いこと!自分は、その行為は許せない。自然(神様)に沿って生きたらいい!!」と言うべきなのです。
そして、その言葉をA男が素直に受け入れず、悔い改めないのであれば、交わらない=つき合わない ことですね。
たとえ、B子がA男とつき合うのをやめたとしても・・・、
B子はA男のことを、人として最初から許していれば、憎しみや責める気持ちは全くないんですね。ただただ、B男の罪をその行為を許さない…ということ。
ここで、B子がA男とつき合うのをやめなければ、どうなるのでしょう?
結果として、罪が罪をつくります。A男からB子、そしてさらに仲間から仲間へと、罪がつくられていく・・・。
大切なのは、
まわりにどんな人がいようとも、
〈自分の生き方・考え方・行動・発言〉
がどうなのかが問題…
全て自分次第!
ということですね☆