自分に起こること全ての価値観を決めるのは、自分自身ですね。
それは、各々の出来事や物によって、または人によって・・・、
無から無限まで様々。
価値観がないと、そのものは無なんだと感じた、先だってのエピソードを一つ。
〜先日、自分のお庭にいる友人と電話で話していました。
すると、「カブトムシの雄がいる!」と・・・。
私にとっては、カブトムシ、しかも雄のカブトムシは、幼い頃飼っていた頃のステキな思い出も加わり、とっても魅かれる価値あるもの…価格でいうと、うーん・・・何万円しても欲しい、、そんな感じです。
思わず私は、そのカブトムシを捕まえておいてほしいといったくらいです。
この友人の話を、カブトムシ業者が聞いても、ものすごく価値を認め、きっと飛びついたでしょう。
しかし、カブトムシに全く興味・関心がない人にとっては、きっと価値はゼロ…その人にとって、カブトムシは無に等しいんですね。〜
また、自分が決める各々の価値観は、感謝のバロメーターと感じる一例も挙げてみます。
〜例えば、桃一切れを頂くとき、あなたにとっての価値観はどのくらいでしょう?
ある人は、そもそも頂き物だから、0円という。
またある人は、店頭価格500円でその約1/10だから、50円くらいかなという。
別の人は、大好きな人と美味しい桃を一緒に食べて、ステキなひとときを過ごせたから、1000万円以上だと。
あるいは、桃が大好きだった亡き父親を思い出し、ステキな思い出や感謝の思い等がいっぱいこみ上げてきて・・・そんな幸せ感を最高にUPしていくれたこの桃の価値は無限だという人も。〜
桃一切れをとってみても、その人が決める価値観は、無(0円)から無限まで…幅はまさに無限!
桃だけでなく、「普段何気なく吸っている空気」から「飲み干すコップ一杯の水」、「食事」、「お風呂に入るひととき」・・・そんな日常の一つ一つの出来事や自然からの頂き物等への価値観とは、言いかえると、その人の感謝のバロメーターといえるでしょう。
現象は一つで同じでも、人により不満の対象だったり、この上ない感謝がわき上がる対象だったり・・・。
色々な結果をみて、一つ言えると思うのは次のこと↓
自分の人生の価値を決めるのは自分自身!!
刻一刻と絶え間なく、無限のありがたいものを頂いている…と無限の感謝とともにある人の人生は、まさに無限の幸せが続いていく・・・
その逆(無のパターン)もいえますね。
それにしても、無限って、なんてステキな言葉なんでしょう!!!
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