あるケーススタディから…
ある50代女性の顧問の方から、激しい頭痛の改善依頼のご連絡を頂きました。
〈自分に起こることは、全て自分が引き起こしている〉それが大前提。
その視点でお話をうかがっていると、恩着せ事件ともいえるこんな出来事が浮上してきました。
ご本人曰く、

おやおや、、、恩返しまではよかったのですが、その後思いっきり恩に着せてしまったんですね。
自分の器以上のことをしたともいえますね…。
『器』について、様々な結果から感じること
人にはそれぞれの器というものがありますね。大きさは人により様々。
無理して器以上のことをしても、喜びやワクワク感はわいてこないし、むしろ不安が募ったり・・。
そして何より、器以上のことは長期的にまず続かないですね。
お金についていうと、自分の器を超えるお金はこぼれ落ちてしまう…。
また、対人関係においては、自分の器が小さいと相手に左右される自分がいるという事実。
例えば、《自分の悪口を言う人がいる》という場合、
☆自分の器が相手より大きければ、悪口だろうが暴言だろうが何ともない。(できれば、小鳥のさえずりのように聞こえて、笑ってられたら最高ですね 😆 )
★自分の器が相手よりも小さいと、腹がたったり動揺したり・・・。
《日々の実生活の中での、自分の器の見極め方って???》
例えば、お金についてだと、、、
1万円のお礼や恩返しをさせて頂く機会に恵まれたとして、それをしたことで自分自身が心から「よかったな〜」と思え、ただただ幸せな気持ちのときは、その人の器は、少なくともその1万円相当以上といえるのでしょう。
一方、1万円のお礼や恩返しの後、例えば、後悔したり、あるいは「これだけしたのに、、、」と見返りを求めたり、恩着せの気持ちがわき上がったとしたのなら、その人の器はその時点で、その1万円相当以下であり、結果的に自分の器以上のことをしてしまった…ということになるのでしょう。
このように、自分の器の大きさは、日々の行動とそれに伴う思いから、はっきりと自身で確認可能なんですね。
自分の思いは自分が一番お見通し、なおかつ、最も偽れないのが自分自身。
だから、自分の器を大きくする為に必要なのは、
まずは毎日毎日毎秒毎秒自分と向き合い、自分がした行動とそれに伴う思いを見つめ、まずはその時点の自分の器を知ることだなあと。
そうやって、まだまだ小さな自分を知ったならば、
次には、どんな状況でもどんな相手でも、コンスタントに幸せ感のスパイラルが続く自分の器作りのレッスン開始♪
日々刻一刻と続くこのレッスン、生徒は自分、そして先生も自分 😀
〈全ては自分のため〉〈損して得(=徳)をとる〉…という視点
大切なことは、どんなことも、自分自身のためにするということ。そして、損して得(=徳)をとるという視点だなあと。
〜例えば、、たらいに入った水を、全部自分のほうにかき集めようとすると、自分のところまで来たと思った途端、手前の縁にあたって、自分からは離れていく・・。
逆に、水を相手に送ると、相手側の縁に当たった水が自分のほうへ集まってくる。
水を相手側に送り続ければ、その流れは止まらない。
同様に、(自分のために)相手が笑顔になる事を続けていれば、それはやがて大きな幸せの流れとなり、自分のもとにやってくることが続く・・。〜
自分のためにでなく、他の誰かのために…と言ってすることは、〈恩着せ〉や〈だれかのせい〉へと繋がりがちですね。
前述ケーススタディの臨床結果
結果的に、前述の顧問の方、ご自分の猛烈な恩着せと現段階の自分の器以上のことをした現実を謙虚に認められ、「器を大きくしていくレッスンを楽しみます♪」とのお話でした。
激しい頭痛については、浄化後すっかりよくなられ、最終的に、軽やかで朗らかなお声に変わられたのが印象的でした。
自然に感謝です✨